音楽プロデューサー

1960年代の日本では、製作資金の提供者または調整者のみがプロデューサーとして記載されることもあった。その場合は、レコード会社のディレクターが、現在のプロデューサーに相当する仕事も担当していた。

プロデューサー自身が歌手またはミュージシャンである必要はなく、日本ではレコード会社 (CD レーベル) や音楽出版社 (楽曲管理会社) 、芸能プロダクションなどの原盤管理会社の人間がプロデューサーであるのが一般的である。また、音楽制作の場合には作品のミュージシャン自身がプロデューサーを兼ねる場合もあり、その際には共同プロデューサーとしてコ・プロデューサーとクレジットされる場合もある。

総合プロデューサーの場合、アーティストのイメージをA&Rと組みながら構築してサウンドを当て込んだり、逆にサウンドが先に出来て後からアーティストのイメージを構築したりするなど様々な手法がある。アーティストのイメージを優先して行く場合には、アーティストの音楽面とパブリック・イメージ全体を司る総合プロデューサーは一般的にエグゼクティブ・プロデューサーと呼称される。冒頭に書かれた制作予算の管理運営を含めての総制作責任者のプロデューサーを指す場合にもエグゼクティブ・プロデューサーと呼称される場合がある。音楽制作進行全体を総合的にプロデュースする場合はトータル・プロデューサーと呼称され、音楽制作におけるアレンジメントなどサウンド面を中心に担う場合はサウンド・プロデューサーと呼称される。マーケットとメディアの連動を見据えて創作プロデュースする場合には、アーティスト・プロデュースとサウンド・プロデュースを兼ねてプロデュース・○○○と表記する場合もあるが、これも基本的にはトータル・プロデューサーとして全体的な制作進行が出来るプロデューサーのことを言う。

小室哲哉やつんく♂など、自身のバンドの音楽活動と並行して作詞作曲及びアレンジメントを含めたプロデュース業を行うミュージシャン系プロデューサーの台頭以後、日本歌謡界における音楽プロデューサーの影響力は急激に増した。しかし、それは高名なプロデューサーを宣伝材料として利用したプロモーションの一環にする現象の側面と、特定の音楽プロデューサーの目に止まらなければまずヒットは望めないと言うことを前提としたメーカー側の販売戦略だったため、「チャートに同じようなアーティストと同じような曲調ばかりが並んでいてほとんど区別がつかない」という意見や批判が年配層等から起こった要因の一つになったとも言われている。

セイコーインスツルの業務用ストップウオッチ「サウンドプロデューサー」は、こうした制作活動の現場(録音スタジオなど)で関係者達に活用されることを狙った同名製品。単なるストップウオッチではなく、カウントダウンタイマーや60進法の計算が出来る電卓が組み込まれている。


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# by musicbeing | 2017-04-06 10:16 | 長戸大幸

現在の音楽

かつてビーイングブームと呼ばれたように、1990年代前半は音楽業界でトップを走り続けていた。しかし90年代後半から、所属アーティストの全体的な売り上げが下降気味になり、1999年以降90年代のビーイングを支えてきた織田哲郎、栗林誠一郎、大黒摩季、DEENらがビーイングから移籍や活動停止。WANDS、T-BOLAN、FIELD OF VIEWらの解散が続きブームが終焉。90年代から実質引き続き残ったのはTUBE、B'z、ZARD、の3組となった。

1998年前後から、大阪心斎橋に拠点を移し、GIZA studioがメインとなった。以前のビーイングサウンドよりR&B寄りやUKロック的な音楽を指向するようになり、他社のアーティストと明確な楽曲やアレンジ上の差異は1993年前後に比べて少なくなったが、所属アーティストのメディアコントロール手法とアニメ・ゲームタイアップで活動する手法は変わっていない。

1998年から2000年の間では、小松未歩のアルバムヒット、倉木麻衣の大ヒット、名探偵コナンタイアップ作品で愛内里菜がシングル『恋はスリル、ショック、サスペンス』のスマッシュヒットをとばすなど、一時期女性アーティストの柱が立っていた。

2002年以降はTUBE、B'z、ZARD、の3本柱に加え、倉木麻衣、愛内里菜、GARNET CROWが着実に売り上げを確保していたが、最近はCD不況やインターネットや携帯電話などで購入する音楽配信への移行の影響もあり、いずれのアーティストとも全盛期より売り上げが大幅に減下してきている。これに呼応するように2003年にZAIN RECORDSがB-Gram RECORDSに吸収合併された。

2006年から2007年にかけては、東京にNORTHERN MUSICを設立し、GIZA studioから倉木麻衣、スパークリング☆ポイント、ZAIN RECORDSから滴草由実を移籍させて再起を図った。2007年にはZARDの坂井泉水が死去した。また、従来のR&B寄りやUKロック的な音楽はもとより、ジャズやボサノヴァなどにも力を入れるようになった。

2008年は平田香織が、Perfumeのブレイクで注目を集めるようになったテクノポップを踏襲した楽曲でデビューしており、新たなジャンルを開拓し始めた。また、同年DAIGO率いるBREAKERZがデビューし、男性アーティストが少ないビーイングにおいて、TUBE、B'zに続く新たな男性バンドのファン層を取り入れた。

2009年には、大阪の音楽事業の縮小(拠点を東京に戻した為)により所属アーティストの契約解除や解散が目立った。およそ7年に渡り活動を続けてきた三枝夕夏 IN dbを筆頭に、スパークリング☆ポイント、Naifuが解散し、菅崎茜、岸本早未、平田香織らが活動を休止した。獲得を希望するレコード会社があったアーティストは上木彩矢のみ(GIZA studioからavex traxへ移籍)。

2010年12月31日、坂井泉水逝去後のビーイングを支えた女性アーティスト3本柱[15] の一人で、第54回NHK紅白歌合戦にも出場した愛内里菜が、甲状腺の病気療養のためにアーティスト活動より引退。

2011年2月10日、2007年に死去した坂井泉水によるソロユニットZARDがデビュー20周年を迎えた。

2011年7月10日、北原愛子がhills パン工場でのライブを最後に芸能界引退。

2012年6月、K-POP事業に新規参入。韓国出身の男性アイドルグループBOYFRIENDをBeingレーベルから日本デビューさせ、第27回 日本ゴールドディスク大賞 ベスト3ニュー・アーティスト(アジア)を受賞した。

2013年6月9日、GARNET CROWが大阪ライブをもって解散。

2015年1月28日、女性アイドル&ダンスグループLa PomPonをデビューさせる。

2015年8月26日、アンティック-珈琲店-がこれまでのインディーズ活動を終えメジャーデビュー。

2016年2月10日、2007年に死去した坂井泉水によるソロユニットZARDがデェビュー25周年を迎えた。

2016年4月、長門大幸を中心に製作したビーイング傘下レーベル・GIZA studioを中心による音楽集団、d-projectを始動。

2016年6月20日、無期限の活動休止中だった大黒摩季がビーイングにて活動再開。


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# by musicbeing | 2017-01-19 11:01 | 長戸大幸